2024.4.15付で修正版をいただきましたので、差し替えします。
ゴールデンウィークの期間など、ぜひじっくり読んでいただけると嬉しいです。
はじめに
千成産業さんは今この地で堆肥を作っています。ここでは奈良時代に国分寺を建てた時その瓦を作ったと言われています。そこに近頃まで水辺にメダカが泳ぎ庭にはホタルが訪れてツバメは家の中の巣でヒナを育てるような豊かな自然が有りました。そしてそれを賢く活かした暮らしが営まれていました。私はその中でそこに有る物を活かす心を感じながら育ちました。千成産業さんは国分寺の瓦を此処のローム層の土を活かして作っていた“有る物を活かす物づくり”の歴史を踏襲するかのように此処で堆肥を作っています。その企業活動の基になっているものの中に私は自分が感じていたその活かす心が大きく活かされていることを強く感じるのです。そしてその姿に心を惹かれるのです。私もそれに学ぼうと我が家の歴史の中で役目を終えた物を活かして箱庭のようなものを作りました。一番手前の石は古い母屋の土台をタクアン漬の重石にしていたもの、一番奥のリュウノヒゲは道端に生えてしまったものなどです。それからもうひとつ、堆肥と云うものを私がこの地から見てきたことをここで私なりに整理してまとめました。誤解も多いのかとは思いますが少しでも参考になりましたらたら喜びとさせていただきたいと思います。知って戴くためにここを使いますので、内容や取り扱いについて千成産業さんに責任はありません。
1:自給自足生活だった時代に知った堆肥のこと
その頃のこの辺りの自然は生活の一環としていつも人が入ってきれいに管理されていました。そしてそこに有る野草やキノコ、木の実などを採っていました。その自給自足の暮らしでは生活に必要なものは主食まですべて自分で作ってまかなうことを基本にしていました。主食はオカボとオシムギを混ぜたムギメシと呼ばれた物でした。それはオカボと言われた味の落ちる米に収量の多い大麦をつぶしたものを混ぜて量を増やした物です。此処は丘陵地帯なので水田は少なく米は陸稲だったのです。まだ学校給食は無かったので昼食は弁当を包んでいる新聞紙を立てて他人から見られない様にして食べていました。真ん中に梅干し一つの日の丸弁当と呼ばれた物も有りました。農家と言われた一般的な家庭の経済状態からのもので健康ではありません。日頃の暮らしぶりは自然の持つものを賢く活かして使うように工夫されたもので、採れた野菜や野山の幸も麹菌や嫌気性菌など菌を上手に使って四季を通じて活かしていました。そして裏庭に竹林を仕立てて北風を防ぎその竹を使ったりして生活に必要なものは自分で作りました。ヤマの雑木は小枝を燃料にしてその灰は肥料に使い落ち葉は庭に敷いて霜除けにしました。それを役目が終えたら麦わらで箱状に囲まれた中に詰めてその上から排泄物を長期間置いて出来た液体を掛けて堆肥を作りました。それによってそこでは堆肥を使って作物を育てそれを食べてその暮らしから出るもので再び堆肥を作るまでの還流する物の流れが菌と植物と動物のリレーでその家庭生活の営みの中だけできれいに廻っていました。それを認識したうえで改めて振り返ってみると自然というものがそんな流れで動いているように思えて来ました。そこでここでは自然というものは大自然を舞台にした様々な生き物たちのこのような環の集合体で、生き物たちはその中でそれぞれのポジションを守ってそのライフサイクルを生きているものだと捉える事にします。それを自然サイクルと云うのでしょうか。だとすればそれは取りも直さず先人達が一つの動物として自然の一部になって暮らしていたことになるのです。そこに有るその暮らしの環をここでは堆肥に焦点を当てていますので仮に“堆肥づくりサイクル”と呼ぶことにします。つまり堆肥づくりサイクルは私達のための自然サイクルの一つで、堆肥つくりは私たちが自然の中でその環を造って暮らすための役割のひとつなのです。そして堆肥はかつて“こやし”と呼ばれていて、耕すことと共にかく 汗に見合っているものだと長い付き合いのなかで作物から教わって“うなってこやせば良くできる” “うんと欲しけりゃうなってこやせ”などと言われて収穫を増やす励みとして使われて来ました。
2:農業で暮らす時代になって知った堆肥のこと
硫安(硫酸アンモニュウム)過リン酸(過リン酸石灰)カリ(塩化カリウム)などの化学物質を振り撒くだけで作物が出来る化成肥料栽培がその圧倒的な能率の良さで広まって、有機栽培はすぐに耕地から姿を消しました。そして堆肥づくりサイクルで堆肥を作らず化成肥料を使うことで農業が成り立つようになりました。それによって食料を作るのは農家に任せて他の人は別の職業に就くことが出来る様になりました。そして時代はそれで社会を豊かにする分農分業の社会に変わりました。それは得意な作業を持ち分け合ってその成果をお金によって交換するのだと解釈できるのかもしれません。そこでは自分で作った物も通用しなくなって生活するためにお金が必要になったので、仕事に就くために堆肥を作る生活から化成肥料栽培に替えることが必要だったのです。時代は農業の時代に変わり堆肥は作られず耕地に入らなくなって堆肥づくりサイクルは終焉を迎えました。それによって暮らしは自然の中に棲むというものではなくなりました。しかしこの時代の日本のターゲットは工業化と海外進出だったのでメインテーマは労働力の確保ですからそれは問題視されませんでした。そして離農という言葉が有って化成肥料栽培で自給自足的な生活をしながら職業を持つという半農と言われた生活で始まった自給自足生活からの離脱は専業農業の確立と農家の職業家庭菜園化によって耕地からさらに労働力が生み出されて行きました。また集団就職というものも有って次世代もその流れに乗って行きました。自給自足時代には国民の主体だった食料生産に必要な人を減らす必要が有った時代だったので、そのために大きな働きをした化成肥料は立派に役目を果たしたのです。自給自足体制から日本の農業を造ってその時代の日本の課題を見事に解決しているのです。その一方それは食糧つくりから堆肥づくりサイクルを放棄させてしまったのです。その役目の終わった肥料を堆肥づくりサイクルが壊れている事に手を打たずに、経済成長を隠れ蓑にして使い続けているのが現在の状況なのです。その中で食べた物の後始末ができなくなって社会問題になりました。その根本的な原因は堆肥づくりサイクルが化成肥料栽培によって壊れていることなのです。それは自給自足時代には食べる物は農家が自分で堆肥にして後処理していたのに化成肥料栽培になり使い道が無いので税金を使って処分していることです。それが経済成長の陰りで税金が足りず続けることが出来なくなった事なので、このままにしておけないのは明らかです。そして食べるという根本的な所で化学薬品によって自然のサイクルを欺くようなことをしているので、現代の科学ではまだ解明されていませんが自然から何か仕返しをされているかもしれません。ですから税金は処分で無駄遣いせずに堆肥づくりサイクルの実現に使って、一日も早くそれを復活させて自然の中に戻るべきでしょう。
3:豊食の時代になって知った堆肥のこと
今日本は食料自給率が低いうえ自給している国内生産に必要な化成肥料の原料まで外国に依存しているので、海外関係が切れてしまうと有機栽培だけが食料供給源になってしまいます。その為やっとここで農水省から自治体ぐるみで有機栽培に取り組むオーガニックビレッジつくりの方針が出されました。そしてたくさんの自治体がオーガニックビレッジ宣言をしています。時代は変わりました。農業は遅かれ早かれ有機栽培になるのです。ここでこの時代の変化を乗り切るカギを握っているのは私達が野菜を食べるのを支えている人達でしょう。その人達が自分の問題としてオーガニックビレッジ宣言を捉えて、どれだけ早くそれを出来るかだと言って良いでしょう。野菜は時代が移り暮らしがどんなに厳しくなったとしても必要なのです。そしてどれだけ早く有機栽培による近郊農業の体制を作ってその市場を確立できるかが、この流れに乗る道であることは間違いないでしょう。そして有機肥料は有機栽培の基礎ですからオーガニックビレッジつくりの進捗に大きな影響をもたらすでしょう。そこに時代を先取りして40年以上前から自家栽培しかできなかった有機栽培を現代の生活を支えられる有機栽培農業を出来る様にした、ミックス堆肥の力を活かす事の価値は明らかでしょう。それを世間がもたついている間に実行する効果は言うまでもないでしょう。いよいよミックス堆肥の出番がやってきたと言って良いのでしょう。そこでは学校給食も地産地消ならそこからミックス堆肥を作る事によって給食の堆肥づくりサイクルができます。そして実習でそのミックス堆肥を使って野菜を作り、それを育てて見守りながら理科社会文学美術などあらゆる分野の自然や食をテーマにしたアプローチを授業することも出来るのではないでしょうか。それをキッカケにしてその分野に目覚める生徒も出るかもしれません。ミックス堆肥は野菜だけでなく人材も育てるかもしれません。私は最近あるところでツバメの巣を見かけて今年そこで初めてツバメがヒナを育てたことを知りました。そしてすぐに冒頭の風景を思い出して、彼らはオーガニックビレッジつくりを催促に来たのだと思っても良いと思いました。なぜなら私たちがツバメの飛んでいたあの頃の世界をめざすオーガニックビレッジをいつになっても始めないからです。なぜそれが進まないのかといえばそれは吸引力がないからです。かつて有機栽培が化成肥料栽培に一気に変わったのはそれだけの吸引力が有ったからなのです。今のオーガニックビレッジ規格のようにそうで無くても荷が重い有機栽培に認証や管理の手間で重く足枷を掛けたら二の足を踏むことは目に見えているでしょう。オーガニックビレッジづくりを進めるなら規格の内容を必要最小限したうえで有機野菜でないと買う気にならないような状況を作って吸引力を作る事が効果的ではないでしょうか。
4:私達が歩む道はどこに有るのか
生命が地球上で生まれたのかそれとも宇宙かやって来たのか知りませんが、地球は菌から植物や動物まで生命が溢れています。その中で私達は人間として生命を授かりました。そして先人達は物を大切にして自然の一員として自然を大切にしながら一緒に暮らしていました。その行動の源になっていたのは、生きて行くことが他の生命の犠牲の上に成り立っていて人間として生まれたのは幸せなことなのだという意識を持っていたことでしょう。ですから野山の虫の命も粗末にすることは無く物も大切にしたのでしょう。そして四季の境目にある節分では過ぎた季節に感謝して訪れる季節を祝い、その前の18日間は土用と云って土の神様を敬う為に土をいじらない様にしたようです。このようにその暮らしぶりは自然を畏敬してそこから恵まれる物を感謝の思いをもって無駄なく活かして使っていたのです。それは先人達が自然の中で一つの動物として暮らしていたからです。そのような目で動物や昆虫を改めて観察してみると大自然から得られるものを上手に活かしています。弱いものほど見事にさえ見えます。それが大自然の中でそれを構成する一員として暮らすための掟なのでしょう。活かしたものだけが生き残っていると言っても良いかも知れません。守れない者はそれなりの報いを受けると考えた方が良いのでしょう。私達もここから学ぶべきことは多いのでしょうが生活環境は大きく変わりました。それをそのまま踏襲することは出来ませんがそこで先人達は物をムダにせず活かす工夫をする“活かす心”で臨んでいました。それは長い時間をかけて人が身に着けた他の動物たちにはない“人という知恵を持つ動物の特徴”に違いはありません。それを活かすことが必要なのです。これこそ私たちが進むべき道なのです。時代は変わっていますのでそこには新しいニーズと新しい技術が有ります。そのステージでそれを活かすことが大切なのです。それを活かすことが活き活きした自然を構成する仲間になって足を地につけて暮らすことを目指す道だと思うのです。
2024.4.15 地元に根付いた野菜
終わりに
此処ではこれからも野菜作りが続いていくと思いますが奈良時代に関東平野の片隅で国分寺づくりを手伝いアメリカ海軍のF6F 戦闘機が捨てて行った機銃弾や20ミリ砲弾を受け止めた此処の土は、ミックス堆肥粗材を軽トラック一杯ずつ分譲して土づくりを手伝った千成産業さんの歴史も忘れないでしょう。食べ物は資源やエネルギーと共に大切にしなければならない物です。この大切な一角の有効活用の道をさらに進めてオーガニックビレッジづくりの道に貢献して戴きたいと思います。2024.04.15